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ご飯とかお出掛けとか推しとか何か色々。

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推しに花を贈った話。


 どうも菌です。今回はタイトルそのまんまのお話をしようと思います。12月14日、15日に円谷コンベンションという超ビッグイベントが東京ドームシティ周辺で行われました。今までの円谷作品に関わった方々が多く参加し、私の推しももちろん出演者の一人として名を連ねていました。


 私は今の推しを推し始めてだいたい二年目になりますが、今まで一度もフラワースタンドなるものを贈ったことがありませんでした。主催者側が禁止していたのもあったし、内容的に花を贈るようなイベントが無かったと言うのもあります。なので正直に語ると物凄く物凄く、推しに花を贈っている友人が羨ましかったのです。私だって花を贈りたい。金ならあるんだ!!!


 そして今回、とうとうフラワースタンドを設置できるイベントが開催された訳です。もうとにかく喜びました。ですが自分は花を贈った経験がまったく無い。ズブの素人、初心者です。まずは経験者である友人にアドバイスをもらい、友人も良く利用するSakaseruさんに依頼をしました。


 まず最初に相談、という形で見積もりをしてもらい、確認、了承した上で入金をします。そうすると担当して下さるフラワーデザイナーの方と直接やり取りが出来るようになります。私の花を担当して下さったのは森 宏之さんという方で、インパクトのある華やかなデザインが得意なのだそうです。正直私はデザイン能力がまったく無いので、推しの画像とカラーリングの指定のみでお願いをしました。今考えるとめちゃくちゃなお願いだったと思います。それに応えて下さった森さんには本当に感謝です。


 そしてツブコン当日、久々の外出でよろよろになっていた自分の目に、推しへ贈ったフラワースタンドが留まりました。ちゃんと推しの役名宛てで、想像以上に綺麗で華やかなフラワースタンドが置かれていました。ずっと念願だった、推しに花を贈ることが出来たのです。物凄く嬉しかった。推しと、推しが演じてくれた朝倉リクという存在に、私は何度も救われました。今も救われています。だからその感謝を、自己満足であっても、フラワースタンドという形で伝えたかった。もしかしたら伝わっていないかもしれないけど、それでも良いと思っています。自己満足ですから。


 無事にツブコンも終わり、外出とイベント続きでちょっと不安定だった精神もだいぶ落ち着いてきたので、備忘録とお花屋さんへの感謝を込めて、このブログを書きました。Sakaseruさん、デザイナーの森さん、本当にありがとうございました。また機会があったら、推しへのスタンドをお願いしたいと思います。


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自分を褒める。


 どうも菌です。退院してからまだ数日ですが、自分の状況と病状の経過を備忘録代わりにこちらに書いていこうと思います。まあ単なる日記です。


 退院してからはずっと自宅で療養していますが、昨日友人の休みに合わせて電車に乗る練習をしてみました。病気になる直前では駅に来た時点でもう既に脱力状態で駅員さんに助けられながら休み休み通勤する、最終的にはタクシーを使うという状態でした。ので、まずは電車に乗ることに慣れなければいけません。何故ならば電車に乗れないと推し事に行けないから。推し事は自分の場合命に関わります。推しは人生。推しは素晴らしいぞ。あと、色々と親に頼りっぱなしというわけにもいきませんし。


 とりあえず一駅だけ往復してみましたが、思っていたよりも全然大丈夫でした。通勤時間帯をずらしたので人が少なかったこと、友人がいてくれたからというのも大きかったのでしょう。それよりも戻るために目の前の電車へダッシュしたときの方が一番ドキドキした。めちゃくちゃスリリングな体験だった。とりあえず誰かとなら電車には乗れそうな感じです。一歩前進って感じでしょうか。なので心中でとにかく自分を褒めまくりました。口に出して褒め倒しました。友人にも親にも褒めてもらいました。


 自分の場合、とにかく自己を肯定していく、自信をつけていく、ということが大事だと看護師さんから言われていたので、何か出来る度に自分を褒めています。一人で留守番が出来た、一人で風呂に入れた、湯船に少しでも長く浸かれた、筋トレを少し長く出来た、とにかく小さなことでも褒めちぎります。いっそ呼吸が出来ている、えらい!でも構わない感じです。本当に少しでも前進したら褒める。


 今のところ病院から処方された気分を落ち着かせるための薬はほとんど飲まずに済んでいる状況なので、ここぞ!というとき以外は飲まないようにしたいなあと考えています。でも無理は絶対にしない。ちなみに今日美容院に行ってきたのですが、さすがに今回は薬を飲みました。やっぱり普段とまったく違うことをするのは緊張します。なので無理をせず飲みました。薬に頼るか、頼らないか。そこら辺の線引きを上手くやっていきたいところです。


退院しました。


 どうも菌です。タイトルの通りですが、昨日退院しました。だいたい三か月くらいの入院期間でした。さすがにまだ完治とは行きませんが、入院時よりもだいぶ元気になったと思います。推しのファンミに最後まできちんと参加出来たというのも大きかったと思います。推しは本当に心の支えになる。推しはいいぞ。


 三か月間どう過ごしてたの?と気になる方もいるかもしれないので、自分が受けた治療やプログラムを、ちょっとフィクションを交えて書いていこうと思います。


 まずは自分が罹った病気の内容について知ること、その対策などの心理学に基づいた勉強会、それから投薬される薬についての勉強会です。三か月という短い間だったのでざっくりとした内容でしたが、個人的にはとても面白く勉強になるものでした。こういう病気にならないと、恐らく一生学ばないと思うので。


 あとは病院にいると身体がどうしても鈍ってしまうので、ストレッチをする時間もありました。椅子に座って行うものなので、ご年配の方も参加していました。個人的にも寝ながら出来る筋トレ等もしてました。入院時よりは体力が戻りましたが、まだ日常生活を送るにはパワー不足かなあと思っています。そこらへんはぼちぼち頑張っていきたいところ。


 それから塗り絵やらパズルやら手芸などのクラフトワークをするプログラムもありました。こちらは楽しんで作業することと、集中力がどれくらい維持できるか、という側面もあったみたいです。自分はひたすらパズルやってました。そんな感じで、日々このようなプログラムをこつこつとこなしていました。


 それ以外は本当に自由時間になるので、許可が出されている場合は病院外に外出したり、部屋の中でごろごろしたり、動画を見たりと各自好きなことをしていました。自分はあまり外に出たくなかったので、部屋の中でストレッチをしつつ動画を見たり、パソコンいじったり、体力維持のために病棟内を散歩していました。自分はだいぶ自由にさせてもらっていましたが、症状の酷い人は制限も多かったようです。中にはスマホ禁止の方もいたようです。辛すぎる。


 そんな感じで三か月を過ごし、何とか退院までこぎつけました。これからは自宅で療養しつつ、復職に向けてのリワークに参加していく予定です。これから推しに関するイベントが目白押しなので、ガンガンとまではいかないけれど、少しずつ前進していきたいと思います。



台風が来たときの話。


 どうも菌です。日本を襲った台風19号、物凄かったです。未だ被災されている方もいらっしゃると思います。自分も被災というほどでは無いですが、台風の影響を受けてしまったので、備忘録代わりにブログを書こうと思います。色々と貴重な体験をしました。


 自分が入院している病院は全部で5階建てになっており、病室は3階にありました。なので浸水する影響は無いだろうと思い、とりあえず充電出来るもの(予備含めたスマホ、ポケットWi-Fi、モバイルバッテリー、パソコン)をすべてフル充電しておきました。それで夜を迎えたのですが、さっそく自分の病室が停電。無事な病室もあったので、もしかしたら配電が関係していたのかもしれません。部屋は真っ暗、でもスマホは電池の関係で使えない。なので仕方なく早々に寝ることにしました。風の音は凄かったのですが、睡眠導入剤のおかげで朝までぐっすりでした。


 そして台風が去った次の朝。停電は相変わらずのようで、病院内は朝からばたばたと慌ただしく関係者の人たちが動き回っていました。とりあえず顔を洗おうかと思ったらお水が出ない。そう、断水です。仕方ないので、顔も拭けるボディシートで洗顔の代用をしました。トイレも流せないので大変です。看護師さんから飲料水の配布を受けました。


 停電、断水はしていましたが、まあ病室は無事でした。ですがどうやら病院の1階が浸水してしまったらしく、受付、調理場が全滅状態だったようです。つまりご飯がしばらく作れない。お見舞いに来てくれた両親曰く、物凄い状況だったようです。生まれて初めて食料として乾パンをもらいました(以前に消費期限が切れそうなものをおやつ代わりにもらったことはあった)。そんなこんなで朝食が終わったものの、まだ停電と断水はしたままです。ちなみに聞いた話だと、停電と断水をしていたのはうちの病院だけだったそうです。周りの民家等は被害が無かったようです。古い病院だったというのもあるのかもしれません。予備電源も無かったし。


 仕方なくベッドでごろごろしていたら、断水が回復したと連絡が入りました。やった!これでようやく気兼ねなくお水が飲める。トイレに行ける。水のありがたみがとても良く分かりました。停電はまた続いていましたが、お昼前くらいにようやく回復しました。ただ調理場が壊滅状態なので、お昼ご飯も乾パンと鯖味噌缶とフルーツ缶の配給でした。イナバの鯖味噌缶はしょっぱいけどめちゃくちゃ美味しい。学びました。今度保存食に買います。


 そして夕方あたりには調理班の努力あってか、乾パンではなく一応ご飯の配給となりました。どうやらすべてを掃除し、除菌したりするのに丸一日かかったようです。お疲れ様です…。配給用の缶詰を抱えて1階から5階まで駆け回ったのは本当に大変だったと思います。


 今回の件で学んだのは、ライフラインというのは本当に大事なこと、個人的ですが米が無いと駄目なんだなあということです。乾パンは貴重な水分を持っていかれてしまう。あとイナバの鯖味噌缶は買う。今回の経験で、もうちょっと自分も災害対策をしないといけないなあと思いました。


鬱になりました。


 どうも、菌です。まあタイトルの通り鬱の一種である適応障害になりました。まさか自分がなるなんて思いもいませんでしたね。いやマジで。原因は仕事を教えてくれている先輩のパワハラと上司の無理解でした。めちゃくちゃ暴言吐かれたので、もしあの時に戻れるなら一発殴っとくべきだった。会社にも対応してもらおうとしたんですが、どうも上手くいかない状況がずっと続いていました。


 まず自分の症状なんですが、汗をかけない、そのせいで身体に熱がこもる、脱力して立てなくなる…という感じです。療養直前はタクシー使って無理やり通勤してました。今思うと何でそこまで頑張ってたんだろう。会社にタクシー代要求したいくらいだ。領収書取っとくべきだった…。 


 で、結局何だかんだあって自宅療養することになりました。対応してくれたのが母の知り合いの方の紹介してくれた内科の先生だったのですが、専門でないのにかなり親身になって下さってとても助かりました。とにかく何でも話せるような医者を持て、というのはこういうことだったのか、と痛感する体験でした。専門じゃなくても話を聞いてくれるお医者さんは本当に持った方がいいです。


 いやー本当に酷い日々でした。布団から一切出れず、ご飯もウイダーを一個食べれるか食べれないか、風呂にすら入れない。そんな状況でした。このままじゃまずいと、先ほどの良くしてくれている内科の先生の紹介で、今の病院に入院することになりました。現在も入院して治療を続けています。


 とにかくツブコンまでには治さないと、と思っていたら、突然推しのファンミが飛び込んできました。聞いてない。まさに青天の霹靂。まだ外出が怖くてしょうがない状態なのに。ていうか入院してからほぼ外出したこと無いのに。でも生涯推していこうと決めた推しの初のファンミなので、病院にも両親にも友人にも無理言って行かせてもらいました。前日までどうなるか分からなかったのですが、本当に行けて良かったです。ファンミ最高でした。楽しかった。推し可愛かった…。


 今でも外出するのは少し怖いです。特に何が怖いわけでは無いのですが、とにかく外に出ると怖くてしょうがないのです。大丈夫、と自分に言い聞かせ続けないと駄目なくらいです。それでも推しがいてくれたから、こうやって何とかファンミのために外に出ようと思えたし、これからも推しのために何とか外に出ようと思います。鬱ですが。もし大丈夫を連呼してる危ないオタクがいたら自分かもしれませんが、己の奮起させているのだと思ってスルーしてくれると嬉しいです。